SRID Newsletter No.407 December 2009

インドネシア生物多様性保全への協力

神田 道男



11月の不破さんの懇談会での話題(インドネシア気候変動対策プログラムローン)を受けて、インドネシアの環境の話題を提供いたします。

(はじめに)
1972年6月のストックフォルム国連人間環境会議において、開発と環境の調和を目指す概念として、持続的開発が国際的に共有され、1973年のUNEP(United Nations Environment Program:国連環境計画)の設立、ブルントラント委員会報告が行われた。


1992年6月にブラジルのリオデジャネイロで開催されたUNCED(開発と環境に関する国連会議):リオ宣言の形式で、 @気候変動に関する枠組み条約、A生物多様性条約、B森林保全原則声明、Cアジェンダ21(行動計画)の4点が取りまとめられた。昨年の洞爺湖サミット、今年のCOP15と気候変動に国際的焦点があったっているが、来年には、生物多様性条約のCOP10が名古屋で開催される予定で準備が進んでいる。UNCEDでの4つのとりまとめの第2と第3にあたる、生物多様性保全とこれに密接に関連する森林保全の分野での日本の協力をインドネシアを例にまとめてみた。

(生物多様性条約)
生物多様性条約は、1992年6月以降、168カ国が署名し、運営されている。その目的は、@地球上の多様な生物をその生息環境とともに保全すること、A生物資源を持続可能であるように利用すること、B遺伝資源の利用から生ずる利益を衡平に配分することとされている。

1994年11に第1回締結国会議がバハマで開催されて以来、1995.(ジャカルタ)、1996.(ブエノスアイレス)1998.(ブラスチラバ)、12001.(ナイロビ)2002(ハーグ)、2004(クアラルンプール)、2006(クリチバ)、2008(ボン)、において、1−2年に1回開催され、この間、1999年2月には、特別締結国会議において、「生物多様性条約バイオセーフティーに関するカルタヘナ議定書」決議された2010年10月に第10回会議が名古屋で開催される。この条約の内容を見ると:
@ 保全のための国家的戦略・計画の策定(第6条)
A 重要なものの特定と監視(第7条)
B 生息域内保全の地域の選定、管理の指針(第8条)
C 生息域外保全の措置(第9条)
D 遺伝資源の取得の機会と帰属(第15条)
E 技術の取得の機会と移転(第16条)
F 技術上、科学上の協力の促進(第18条)
G バイオテクノロジーの取り扱い、利益の配分(第19条)
H 資金(第20条)
などから構成されている。

(森林保全、生物多様性保全への支援)
ストックフォルム会議からリオ会議までの間、環境案件は、その対象をレッドイッシュ(貧困関連)、ブラウンイッシュ(公害対策)、ブルーイッシュ(海洋汚染)、グリーンイッシュ(森林・生物多様性保全)と呼ばれていたように思う。

生物多様性や森林保全はこのうちグリーンイッッシュに含まれるが、支援の内容は、時代とともに変化してきた。植林・森林保全の分野では、産業造林⇒環境保護造林⇒参加型植林管理といった、維持管理を含む持続的な植林への変化とともに、農地(焼畑やプランテンション等)の造成(合法なものもあれば、違法なものも多い)に伴う、対策としての、植林⇒防火対策⇒衛星による監視技術といった変化がみてとれる。

一方、生物多様性保全においては、希少種保存⇒情報管理⇒国立公園管理のいった変化とともに、国立公園等保護地域と住民の生活の共存を目指す、環境教育⇒エコツアーという活動も行われている。

(インドネシアにおける森林保全)
インドネシアにおける森林保全は、焼畑などにより、草原化しアランアランなどにおわれた地域での植林方法の開発を目指した「南スマトラ森林造成プロジェクト(1979.4−1988.3)」では、2100Haの試験造林を試み、維持管理を考慮したアグロフォレス トリーの導入が行われた。「南スラベシ治山計画(1988.7−1993.7))においては、火山性の地層の森林荒廃地の復旧および荒廃の拡大防止技術の確立を目指した協力が行われた。産業造林(建材やパルプ材等)と生態系との整合性を図ろうとする、郷土樹種源の開発を目指した「林木育種計画プロジェクト(1992.6−1997.5)」とこの継続である選定された郷土樹種の造林技術普及を目指す「林木育種計画II(2001−2005)」がジョクジャカルタにおいて行われた。

一方、森林火災の防止と衛星による観測と火災に伴う煙霧(ヘイズ)予想の技術の開発の協力が「森林火災予防計画I,II(1996.4−2006.4)」として、インドネシア林業省を対象に行われ、現在は、雲があっても地上の火災の観測が可能な日本の衛星「大地」を活用した「衛星情報を活用した森林資源管理支援(2008−2011)」が実施中である。

こうした協力に加えて、CDM位関連した「炭素固定森林経営現地実証調査(2001-2006)」がボゴールで実施され、また、科学技術省と北海道大学の共同研究によるカリマンタン地域を対象とした「インドネシアの泥炭・森林における火災と炭素管理」の共同研究が、JST(科学技術振興機構)とJICAの支援による「地球規模課題のための科学技術協力」事業として計画中である。

(生物多様性保全)
インドネシアは、アマゾン地域と並ぶ熱帯降雨林の覆われた地域であり、この降雨林には、極めて多くの動植物、微生物が生息している。降雨林における、住民の生活を含む活用、変化の状況を調査・研究し持続的開発の基礎を提供しようとする協力が行われた。この協力では、東カリマンタンにおいて、ムラワルマン大学(カリマンタン)、ボゴール農科大学(西ジャワ)、ガジャマダ大学(ジャクジャカルタ)の共同利用施設である「熱帯降雨林センター」の設立して、土地利用区分、天然林施業、人工林施業、森林地位区分、アグロフォレストリーの分野での協力を「熱帯降雨林研究計画(1985.1−1989.12)」、「熱帯降雨林研究計画フェーズII(1989.1−1994.12)」、「熱帯降雨林研究計画フェーズIII(1994.1−1999.12)」と継続的に行った。
 
また、荒廃したマングローブ林の再生と維持、生物多様性の保全を目指して、バリ島において「マングローブ林資源保全開発現地実証調査(1992.−1999)」、「マングローブ情報センター(2001.5−2011.4)」の協力が実施中であり、インドネシア全土のマングローブ再生のセンターとなっている。

(インドネシア生物多様性保全計画)
インドネシア政府は、1992年のUNCEDの前年、「インドネシア生物多様性保全計画(1991−2009)」(BAPI)を作成した。1992年に、日米両国は、コモンアジェンダの一環として、生物多様性の分野を取り上げ、インドネシア政府と3者共同で、この分野の協力をおこなうこととした。 その背景としては、インドネシアは、国土の面積は世界の国土の1.3%であるが、野生動物種は、325,000種(世界の20%)、植物29,375種(世界の10%)、このうち、固有種の割合は60%に達している。また、動物種のうち哺乳類は457種(固有種:49%)、鳥類は1530種(固有種:27%)、爬虫類は514種(固有種:59%)、両生類は285種(固有種40%)と、固有種の割合の高いことが挙げられる。

(日米協力)
アメリカは、生物多様性基金を設定し、この管理のためのNGOの設立とこの基金を通じて、インドネシアの環境関連のNGOの全国各地での活動への支援を行うこととし、日本は、西ジャワのジャカルタに比較的近い林業省所管のハリムン山国立公園(GHNP)での調査・保存活動とオランダ時代からの歴史あるボゴール植物園の付属として始められたインドネシア科学院(LIPI)所属の動物標本館や植物標本館の施設の移転・更新と標本の保存方法の改善の協力を行うこととした。この協力は、1996年にコモンアジェンダの実施を支援すべく作られたコモンアジェンダ円卓会議においても議論されている。

(日本の協力)
日本の協力は、生物多様性条約第8条の「生息域における保存」と第9条の「生息域外の保存」(標本の保存とデータベース化)に対応している。日本の協力は、この2つの分野の協力を対象とする協力として、様々な準備調査や協議の後、「インドネシア生物多様性保全計画(フェーズI):技プロ:1995−1998」として実施された。

技術協力のフェーズIとフェーズIIの間に、無償資金協により、林業省自然環境保護総局(PHPA)を実施機関として、国立公園関係の施設として、1997年に「自然環境保全情報センター施設::(ボゴール)」、「グヌンハリムン国立公園(GHNP)カバンドンガン管理事務所):GHNPチカニキリサーチセンター」の3つの施設が国立公園管理の拠点として建設された。また、同時に、インドネシア科学院(LIPI)に対しては、チビノン生物系研究施設コンプレックスに「生物学研究センター(RCB)の建設が行われた。RCBには、「生物多様性情報センター整備」、「動物標本館の整備」が含まれている。

これらの整備された施設を活用して、「インドネシア生物多様性保全計画フェーズII:技プロ:1998 −2003 」が継続的に実施された。この協力の結果、国立公園に関しては、従来知られていた希少種としての「ジャワ・クマタカ」、「ジャワギボン(猿)」に加えて、「ジャワ豹」の生息が確認され、この豹の生態観察等から、生息域が国立公園指定地域を越えていることが判明した。インドネシア政府はこれを考慮し、国立公園を拡大し、サラク山地域を含めることとし、公園名をGHNPからGHSNPへと変更した。RCBでは、動物標本のデータが外部からのアクセスも可能なように整備され、スラベシ島の北部の深海から捕獲された「シーラカンス」の標本が新たに整備され、小中学校の生徒の見学の目玉となっている。日本の協力は、この段階以降は、生息域(林業省)と生息域外(LIPI)に分かれて協力を継続することとなった。

国立公園においては、「グヌンハリムン・サラク国立公園管理計画:技プロ:2004−2009」が実施され、公園内に住む住民と野生生物の共存を目指して、小学校における環境教育や、ジャカルタからの訪問者(小学校や中学校の見学含む)を念頭に、エコツアーの導入の協力が行われた。このため、林業省職員をレンジャーとして育成し、公園の管理にあてるとともに、ツアーの案内も行えるよう研修・指導が行われた。

LIPIの生物研究センターにおいては、既設の動物標本館に隣接した敷地に、新たな無償資金協力により、植物標本館(ハーバーリュ−ム)と微生物標本館が建設され(生物多様性保全センター整備:無償::2005)、標本をボゴールから移転した。さらに、標本の安全な移転とこの施設の有効活用のための技術協力、「生物学研究センターの標本管理と研究機能向上計画を目指した技術協力:技プロ:2007−2009」を実施した。

(まとめ)
インドネシア生物多様性保全の協力は、1992年に署名された「生物多様性条約」に沿って、「生息域」と「生息域外」の協力を総合的に行い、オランダ時代からの貴重な生物資源(標本数160万種は、東南アジアでは、抜きん出て1位であり、世界的に見ても33位に相当)の保存と維持を継承しうる体制を築き、これをインドネシア研究者が、国際的に活用しうる基盤を準備したものと考える。また、コモンアジェンダとしての日米協力は、アメリカが支援したNGO「ヤヤサン・ケハティ」が、インドネシアを代表とする環境NGOとして成長した。(インドネシア環境分野のリーダーであるエミール・サリム氏が長年にわたり代表を務め、その後、エレナ・ウィトラー元公共事業大臣に引き継がれている。エレナ氏の夫君は前環境大臣を務めている。)

この長期にわたる協力は、環境庁の関連の生物多様性センターや自然環境センターの研究者の継続的な参加、また岩槻邦雄(東大名誉教授)氏など、有識者の支援を受けて成果を挙げてきたものである。「COP10」を控え、日本の生物多様性分野の貢献のひとつとして紹介しました。